朝護孫子寺とは
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。

■沿革・歴史

敏達天皇

西暦582

寅年寅の日寅の刻、聖徳太子この山で毘沙門天王を感得される。

用明天皇

西暦587

7月3日聖徳太子、御本尊の御加護により佛敵守屋を討伐し、御自ら毘沙門天王像を刻み、この山の守護本尊として祀られる。

醍醐天皇

西暦910

当山中興開山命蓮上人毘沙門堂の伽藍堂塔を建立善美をつくす。
醍醐天皇御重病のとき、当山毘沙門天王の御加護により御全快され、朝護孫子寺の勅号をたまわり、以来信貴山朝護孫子寺と称す。

近衛天皇

西暦1150
現在の国宝信貴山縁起絵巻(三巻)この頃完成。
後醍醐天皇

西暦1333

大塔宮護良親王当山に在陣勤王の士を集めらる楠木正成この山に信仰あり。

後奈良天皇

西暦1532

この頃、筒井順昭、武田信玄等、当山に信仰あり。

正親町天皇

西暦1577

松永久秀この山に信貴山城を築く。
織田信長の攻略に遭い、一山堂塔信貴山城すべて灰燼に帰す。

後陽成天皇

西暦1610

豊臣秀頼公の祈願所として本堂及諸堂を再建す。

昭和時代

昭和26年

本堂焼失。高野山真言宗より独立して「信貴山真言宗」を創立す。

昭和33年

本堂を再建し、落慶法要をいとなみ現在に至る。